1.21ジゴワット

西暦2018年1月30日午前7時41分、突如として僕の脳内に1.21ジゴワットの電流が流れ、自分の過去と未来とを結ぶ一本の繋がりを垣間見た。僕の人生を少なからず変えることになるかもしれない出来事であった。

Seven forty-one on January 30th in 2018, I had a sudden electric current of 1.21 gigawatt in my brain and I took a glimpse of a string that connects past and future. It might change my whole life.

診断書

診断書

診断書。

トカトントン考

40歳を越えたあたりからときどき、トカトントンに悩まされていた。トカトントンとは太宰治の同名小説に出てくる奇妙な音のことである。その音が聞こえると急に物事にやる気がなくなってしまい虚しさに占拠された気分に陥るのだ。僕の場合、最初これは鬱なのか?と思ったりもしたが、生きる気力は普通にあるからどうも鬱とは違うようである。

僕は趣味で山に登ったり写真を撮ったりするが、この音がすると、わざわざそんなことをして何になる?といったような不思議な虚無感に襲われ、これまでワクワクと高揚していた気分が一気に白けてどうでも良くなってしまう。趣味の範囲ならまだいいがこれが仕事にまで及ぶと大問題である。ひいては人生の意味などを考えてしまうと生きていること自体が虚しくなってしまう。

これまでの人生で少ないながら色んな事を経験してきたが、ある程度経験を積むと先のことが予測できるようになる。これは良いことである一方で、悪い側面も持っている。つまり山登りをする目的が山頂からの景色だとしたら、過去に登ったことのある山はもう登る意味がないということになる。これが重症化すると登ったことのない山でも、「多分こんな感じだろう」と過去の経験をもとに勝手に完結してしまい挑戦することすら虚しくなってしまう。実際には一緒に登る人だったり季節だったり毎回違う新鮮味があるのにも関わらずだ。

何かしらの行動をする前にその意味を考えることは、生きる上での効率化には役立つかも知れないが、考えすぎると行動すること自体が虚しくなってしまう。山があるから登る。美しい景色があるから写真を撮る。マラソン大会があるから出る。これでいいのだ。理由を考える前にコミットした対象に向けて行動し続けることが、結果的に充実した生き方につながるんだと思う。

こんな風に捉えるようになってからもうトカトントンの音はしなくなった。人生まだ半分、これからも色んなことに挑戦するぞー!(笑)

父の古希に想う

自分のルーツ

「父の古希に想う」
先日、函館から来た子の部屋を訪室した時、その子の母がYouTube で「函館讃歌」を聞いていた。
故郷が恋しくなったのだろうか。「函館讃歌」は函館市民なら恐らく誰でも知っている歌だけれど、ごみ収集車のメロディにもなっていたのを思い出して僕も妙に懐かしかった。

僕が高校時代まで過ごした町は、函館の中心部からやや奥まった場所で、津軽海峡に流れ込む松倉川という川によって山がえぐられてできた左岸の高台に位置している。松倉川の源流がある三森山という山の稜線が遠方に見えて、その川と山は小学校の校歌にも歌われていた。

松倉川の支流の小さな沢には、僕らが赤屋根と呼んでいたオンボロの木造の小屋があり、その近くでザリガニをよく取って遊んだものだった。ザリガニ採りの副産物として縄文式の土器のカケラもたくさん出土し袋一杯に入れて持って来たこともあった。今から考えるとあんな所で縄文式土器が出土するなんて学術的に意義のあることだったに違いなく、大学の研究室か博物館の学芸員にでも見せるべきだったのだが、結局いつの間にか母が捨ててしまいその貴重な史料は闇に葬られた(笑)。

高台を自転車で登りきった所に展望台という名の四阿があり、そこからは函館山が遠く望まれた。高校時代、帰り道にちょっと休んだりもしたお気に入りの場所であった。眠い朝もこの坂を自転車で一気に降りるとすぐに目が覚めた。

今月、父が古希を迎えた。来月は祖母の法事とも重なるためお祝いと法要を兼ねて実家に帰る予定だ。父が僕と同じ42歳だったころ僕は14歳だった。たまの休みに車で連れて行ってくれた公園や海はどの辺だったのだろうと今更ながらグーグルマップを開いてみる。こんな俯瞰画像もすぐに描画できるのだから技術の進歩とは大したものだ。

故郷を離れて24年。父が節目の年を迎えたとき、今の自分のルーツは何かと問うてみるとやはりこの町で過ごしたことと父の影響が大きいように思う。過去に思いを馳せながら今一度「函館讃歌」を口ずさんでみる。来月は少しゆっくりと昔のことを語り合ってみたいと思っている。

シュレーディンガーの血管

「シュレーディンガーの血管」
当直の戯れ言。
乳幼児の手がムチムチで血管が見えないということは日常的によく経験する。新人のときオーベンの先生から「どうしても血管がない、と思った瞬間からあと3カ所は刺せる場所がある。」と教わった。

最近は入院児のほとんどにPICCが挿入されているため、慣れる機会がないスタッフや若者たちの技術低下がちょっと気になるところだ。

僕の理論は「シュレーディンガーの血管」と勝手に呼んでいる。すなわち量子力学のパラドックスである「シュレーディンガーの猫」と同様、子供の手がムチムチで血管が見えないとき、皮膚の下に血管は存在しているしかつ存在していない、確率論的なモヤモヤの状態となっている。エコーを当てたり穿刺するという外的な観察が加わった時、はじめて血管の位置が決定されるのである。そして経験と勘によって、血管がある!と強い信念を持つ事によりそこに血管の位置が決定される。つまりは「ここに(血管が)ある!」という信念が大事なのである(笑)。

これを先ほど処置室で新人の男性ナースに講釈していたら、「いーからこれ手伝って下さい。」とベテランナースに軽くあしらわれた(笑)。僕の理論が一般に受け入れられる日はまだまだ遠い(笑)。

趣味のパーセプションマップ

趣味のパーセプションマップ

僕には趣味がいくつかあるのだが、年末に自分を見つめなおすためパーセプションマップにまとめてみた。

個々の楕円の面積は、趣味に占める自分の中での重要度を示している。
縦軸の「役に立つ」は、人のため、健康のため、自分の価値向上のためという意味合いである。一方、横軸の「お金がかかる」は、初期投資とランニングコストを総合したものであり、例えばデジタル一眼レフは結構高いけど初期投資だけで済むし、酒・ビールは単価は安いけど積み重なれば金額が上がるという具合だから横軸では同列になっている。

これらの分析の結果、お金もかからず役に立つ趣味は英語、マラソン。一方でお金がかかるのに役にも立たないという趣味は盆栽であることがわかった(笑)。
この結果を来年に生かし、より生産的な人生を送れるように邁進するとしよう(笑)。

書き初め

書き初め

新年を迎えてボールペンで書き初め(笑)。
Happiness = Health × Curiosity
人生における幸せの源は、健康(health)と好奇心(curiosity)なんだと思う。もちろん家族や友人は大切だけどそれは人生(life)そのものだから。
仕事でも趣味でも健康を損なってしまえば継続が難しくなるし、好奇心がないとリスクばかり考えてなんでも萎縮してしまいがちになる。そこからは情熱(passion)も生まれない。
大事なのは健康も好奇心も与えられるものではなく、自分で育てていかなければならないということ。日々運動をして健康増進に努め、さらに知識を吸収して好奇心を養う。今年も充実した毎日を送れるように努力したいと思う。

第10回道産子検定

第10回道産子検定
見事落第(笑)。
意外と難しい。来年こそ合格狙おう。

フィーバー

フィーバー

年の瀬の運だめしに宝くじでも買おうと思ったがどうせハズれると思い、代わりにパチンコをやってみたら見事に大フィーバー!(笑)おかげでいい年を迎えられそうだ。ルパンよ、ありがとう(笑)。

年末に思う。

今年を振り返ると…、
学術的には論文3つ(洋2、和1。うち1本はリジェクト中w)。
私生活ではいとこの結婚に感動!父の入院にはショックを受けた。
趣味では初のフルマラソン完走、たわむれで受けた英検1級合格はよい思い出。
さらには新車を購入するも年末にぶつけられて貫禄がついた。
…などなどいろいろあったけど、無事に家族みんなで新年を迎えられそうで何より。
来年もいろいろよろしくお願いいたします。
プロフィール
Author:ちあしう
写真、登山、マラソン、自転車、料理、英語、家族など。
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